読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

白馬あるいは浮遊輪

 九龍妖魔學園紀 通常版

 白馬に乗った王子さまは、目的地に駆けつける事だけを考えていればよい。お姫さまの本意なんざ知ったこっちゃない。リンゴを齧ってぶっ倒れた彼女が実は自殺願望の持ち主であったとしても、眠れる森の彼女が眠り続ける事こそを望んでいるのだとしても、だからどうしたと言って布団引っぺがすのが王子さまである。王子さまにはお姫さまの事なんてなんにも分からないのだ。ただ、通りすがりに一目惚れして、外野の助けてくださいコールに頷いて、なんにも知らないまま、彼女の外側の求めに応じるだけの事である。姫を目覚めさせるという物語の自明がある。王子が姫を好きだって、それだけの気持ちのうちに。

 白馬が浮遊輪とかに変わると、今度はお姫さまを好きかどうかすら問題ではなくなって、たとえ嫌いだったとしても王子さまは王子さまの仕事のためにお姫さまを叩き起こす。嫌いである場合、目的はお姫さまじゃなく、お姫さまが眠る部屋の扉を開く事であり、そのベッドの下に隠れているかもしれないお宝の方になる。ロマンもへったくれもない。でもそういうお話だから仕方がないってんで、王子さまは銃を片手にお姫さまを目指すのだ。私たちは王子さまになったような気分にこそなれるけど、王子さまも物語も私たちとはまったく関係ないところで好き勝手に動いている。感情入力という選択肢が持つ意味はそんなものでしかなくて、必ず出逢わなくちゃならないお姫さまの事を、抱きしめてあげるか、それはさておきベッドの下を漁るのか。どっちにしても姫の気持ちは二の次というのがよい。

 九龍4話。他人を遠ざけたいお姫さま♂にくっついて回る王子さまの馬鹿っぽさがたまらない。「くっつくな離れろ」と呆れられる事3回である。回数で言うと少ないものだが、なにしろ相手は皆守だ。そういうのに慣れてないだろうとか煩がるだろうとか、当たり前に浮かぶはずの皆守の性格について思いつかないのだろうか。思いついていたのだとしても理解を脇にどけている。葉佩は皆守を理解しない事、あるいは理解をどかす事に大いに積極的であり、くっつく事や、隣で盛り上がったり燃え上がったり、涙ぐんだり泣き出したりが、皆守の希望とはまったく無関係に行われる。それをやかましいと思う一方で律儀に付きあう皆守もまた、葉佩にどかされた自分の心を、仕方のないヤツだ、なんてボヤきのうちに見送ってゆくのである。葉佩の好き勝手さ馬鹿らしさには、相手の心を見通そうとするような深い踏み込みがないから、皆守は理解を得られない事でかえって楽に息ができる。「馬鹿だ馬鹿だと思ってたが、お前ほんっとに馬鹿だな」「馬鹿野郎、人の気も知らないで」、王子さまなんて生き物はみんな馬鹿野郎でお気楽ですよ?苦しみをひっくり返して悲しみを支配するのは、愛より何より、つまり笑いだ。

 生徒会云々ではなく、オカマ野郎をとっ捕まえるために遺跡に降りるというのがよい。ネタかと思うような日常の応酬は、過去や事情ごと皆守の内面を横に追い出してしまう。ボケにツッコミが返る空気というのは、気兼ねない間柄の中にはじめてあり得るものであり、葉佩のやかましさや、やっちーの無理矢理や、茂美ちゃんの高笑いの中にこそ皆守のツッコミが許されていて、過去も秘密も遠いところで皆守の今が許されている。眠る以前のお姫さまがどんなお姫さまだったかなんて、知る必要はまったくない。通りすがりに好きなったり嫌いになったりするだけだ。なんにしろ姫は起きて、起きぬけざまに「お前は馬鹿か」とツッコミを飛ばすのだが、それが物語の筋ってもので、しあわせなんじゃないですか。(2005/06/04)